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月別過去ログ
プロフィール

吉井 信隆(よしい のぶたか)

インターウォーズ株式会社 代表取締役

大学卒業後商社を経て、1979年リクルートに入社。企業の事業戦略を推進する為の人材情報誌事業に携わり、新宿支社長をはじめ、首都圏の営業部長、新規事業開発部長を勤める。

現在は、日本初のヒューマンリソースを活かしたインキュベーション事業会社インターウォーズ株式会社の代表取締役。各企業の30を超える事業開発インキュベーションや自治体の新産業創出のアドバイザーや講演活動等を行っている。事業創造大学客員教授 ニュービジネス協議会理事

UDON

2006年09月09日

休日に、古奈屋のカレーうどんを食べて、映画の「UDON」を観た!
 地域情報誌の与える力、地域の特質を生かしたコンテンツパワー、ビジネスのサイクル、・・人の輪、そして、百人百色の人生を見事に演出した作品だった!
 うどんブームが、来るかもしれない!!

UDON.jpg

投稿者: 吉井 日時: 16:11 | パーマリンク

メンター

2006年09月02日

大学生の頃、ある人の薦めで、「安岡生篤」(やすおか・まさひろ) 「せいとく先生」の書と出合った!

 就職するにあたって、「どういう心構えで、社会に出ようとしているのか?」「世の中の為の抱負は、いいけど、未熟な君は、その前にあなた自身が、立派になることが先決です! to do good です」と、
 そして、ものを長い目で見なさい。枝葉でなく、本質を見なさい。物事を一面で見ないで、全面的に見なさい。という言葉は、今も輝き育っている。
 23年前に、亡くなられたが、今なお不世出のメンターである。

安岡 正篤.jpg

投稿者: 吉井 日時: 09:26 | パーマリンク

第105回  「時代を切り開いたインキュベーター」

2006年09月01日

 明治維新の頃、お金はなくとも「強烈な想いや志を形にしたい起業家」が、資本家にその熱意を伝え、「いい考えじゃないか!」と、出資してもらうことから、株式会社というモデルが生まれた。
そして、これが日本の社会を変える力になると考え、フランスからこの株式会社システムを導入し、今、話題になっている王子製紙をはじめ、東京海上火災保険、東京ガス、サッポロビールなど、業界を代表する企業を500社インキュベートした渋沢栄一は、日本の資本主義の土台を作ったといわれている。
“明治のスーパーインキュベーター”である渋沢さんの旧宅が、王子の飛鳥山公園の隣にあり、その精神に触れたい想いで時々訪ねるが、最近新たな発見があった。

 渋沢さんは、大農家に生まれ、論語や剣術を学び、商売の才覚と武士としての気質をも持ちあわせていた。そして、尊皇攘夷思想に目覚め、倒幕計画を立てながらも、最後の将軍となった一橋慶喜に仕えた。 1867年、慶喜の幕臣として、パリ万博に出向き、フランスの資本主義による産業化を一気に推し進めた思想家サン・シモンに出会った。この思想の影響を受け、「産業を興す、つまり会社をインキュベートすることを最優先として社会を建設する」ことが、徳川幕府終焉後の、リストラ武士達を生かすことにも繋がり、階級社会を変革できると考えた。
そして、「富は、物が動くことで生まれる」と捉え、まず金を流通させることが必要だと、庶民からカネを集める第一国立銀行を真っ先に設立した。当時の銀行は金持ちからカネを集めることが主流で、庶民を相手にしていなかったようだが、多くの人から少しずつカネを集め、集めた資本を株式会社に投資し、利息を人々に返すといった、今でいうベンチャー投資(銀行は担保を取らなかった)を行っていった。また、その会社に必要な・技師・商人・職工などの人を紹介し、起業を応援している。そして、驚いたことに渋沢さんは、自分が設立した会社でさえ、持ち株は5%を超えないようにしており、支援に徹していた。

 渋沢さんは、マネーゲームを嫌い、「儲けてもいいが、寡占は避けろ」と、口癖のように云っていたとのこと。寡占が進むと市場全体のパイが育たなくなり、市場のパワーが落ちてしまう。そうすると結局、企業は儲けられなくなり、社会は力を失う。一人で利益を独占しようとすると結局は損をするということを示唆してくれている。

 会社とは、そもそも、志の実現にむけて、利益を独占しない「バランス感覚」と、起業という「チャレンジ精神」を持ったベンチャーなのだと!! 渋沢さんのメッセージを改めて、2006年の夏、受け止めた。

投稿者: 吉井 日時: 09:28 | パーマリンク